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京都地方裁判所 昭和53年(行ウ)18号 判決

原告

橋詰忠正

右訴訟代理人

高木清

被告

京都市公営企業

管理者交通局長

野村隆一

右訴訟代理人

坂本正寿

外一名

主文

被告の昭和五三年八月一〇日付で原告に対してなした分限免職処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

(争いのない事実)

一請求原因1(当事者の地位)・同2(本件処分の存在)・同3(本件処分の理由)については当事者間に争いがない。

(本件処分に至る経緯について)

二右一の争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和三四年六月二二日京都市交通局に現業員たる市バス運転手として採用され、昭和三五年一二月以後五条営業所に勤務しているところ、昭和三九年七月一日上田徳七からその所有家屋を賃借して家族ともども現住所地に転居したが、隣家には、明田一弘(その父が明田耕輔)、中尾由造ら一家が既に上田徳七からその所有家屋を賃借して居住していた。

2  その後、昭和四六年頃には明田一弘方付近から原告方へ汚水が流入したり、原告方前の路地の下水道工事の際、残土等の置き場所をめぐつて、原告と明田一弘の意見が折あわず、また、中尾由造から原告に対し、昭和五〇年五月頃に家人の自動車の路地駐車を黙認して欲しい旨の申し入れがあつた際、原告は路地の通路代を支払い、家主から路地駐車も禁止されているとして結局これに応じなかつたことから、原告と明田一弘・中尾由造との隣人関係はよそよそしいものになつていた。

そして、この頃から、原告方の植木が折られたり、植え込みに火のついた煙草が投げこまれたり、除草剤が一面に散布される等のいやがらせが続出するようになり、原告としては隣家の明田一弘らがこれらのいやがらせに関係するのではないかと思い神経質になつていた。

さらに、昭和五二年七月頃には明田一弘宅の物干場に屋根が増築された結果、原告の栽培する植木の日照を妨げるとして原告が苦情を申し入れたが、明田一弘は隣地に軒先が出ているわけではないとしてこれに取りあわなかつた。

3  原告は、昭和五三年八月五日午後四時一〇分頃、当日の勤務を終えて五条営業所から自動車で帰宅途中、五条通りから自宅へ通ずる東側の路地(幅約3.6メートル)まで来たところ、折りから隣家の住人である明田一弘が自家用自動車(スカイライン二〇〇〇)を停止させて洗車していたため、その傍らをすり抜けて自宅に戻り、鉢植えの植木を剪定するため自宅二階のベランダに上つたところ、明田一弘が依然として前記路地に自動車を停車させており、以前から同人が路地に再三不法駐車し、その都度注意を促したが聞きいれられず、家主からも路地駐車をしないように言われていたこともあり、同人にその移動方を要求したところ、同人がそしらぬ顔をしていたため、さらに「いい加減に車をどけたらどうや。」と申し入れたところ、逆に同人から「なんでや、この路地には他の車も置いているのではないか。何故、俺だけ言われんならんのか。」「のける必要はない。」等と反論されたため階下におりて明田の立つている所まで行き、同人といい争いになつたが、明田がその妻に向かつて「中尾のおじいさんを呼んでこい。」と叫び、折から騒ぎをききつけて表に出て来た中尾由造から「お互いに持ちつ持たれつやで、そんなやんやんいうことでない。もうちよつと穏やかに言つたらどうや。」と一方的に言われたことから同人とも口論になり、激高の余り、家にかけ込んで出刃庖丁を右手に持ち、明田・中尾のいる約一メートル近くまで来て「なめてるのか。」と言つたうえ、明田・中尾に向つて出刃庖丁を突きつけるようにしたものの、明田から「暴力行為や、パトカーを呼べ。」と言われて我にかえり、また傍らにいた原告の妻に「お父さん何を馬鹿なことして。」と言われ、所持していた庖丁をそのまま同女に手渡した。

そうするうちにパトカーが現場に到着した。原告及び明田一弘は堀川警察署で事情聴取を受け、同日午後一一時頃帰宅した。

4  原告の右庖丁による脅迫行為(本件行為)につき、同日午後一一時頃、明田一弘から五条営業所へ電話通報があつたため、当務者である滝・山田両係長は上司である杉浦所長に電話連絡のうえ、その指示により、明田一弘宅を訪れ同人から事情聴取したところ、原告が出刃庖丁を持ち出して来て、同人の胸元を掴み庖丁を突きつけ「殺してやろうか。」と怒鳴り散らした旨陳述し、その際、『明田耕輔』なる名刺を差し出された。さらに、前記両係長は原告方にも立ち寄り、原告からも事情聴取したところ、明田一弘が自宅前路地で自家用自動車を不法駐車させ洗車していたため、再三注意したが聞き入れてもらえず、おどす意味で庖丁を持ち出したが危害を加える意思は全くなく、その胸元に庖丁を突きつけたこともなかつたが、不用意な行為で反省している旨申し立てた。右事情聴取結果については、直後に杉浦所長に対し連絡がなされた。

5  翌八月六日は日曜日であつたが、原告の本件行為が地公法二九条一項三号に該当する疑いがあつたため、杉浦所長は、原告に出頭を求めたうえ、懲戒規程一〇条に基づき原告からの事情聴取を行なつたうえ、その際、原告は庖丁を明田一弘に突きつけて殺してやろうかといつたことはないと否定したが、その余の事実については前夜の係長の報告と同一であつたことから、杉浦所長は原告に始末書を提出させたうえ、指示があるまで原告に自宅謹慎を命じ、その調査結果を交通局運輸部長宛に報告した。

6  同日午後七時頃、明田一弘から原告が制服姿で五条営業所に出勤したことに対する抗議の電話があり、八月七日にも、明田一弘、中尾由造の両名から原告の厳重処分を求める電話があつた。

また、八月七日に、杉浦所長が堀川警察署に赴き事情を聞いたところ、原告を銃砲刀剣類等所持取締法違反・暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被疑事件で送検する予定であるとのことであつた。

7  八月九日、懲戒規程九条に基づき懲戒委員会が開催され、交通局側は原告の本件行為が懲戒規程四条一〇号の「刑事上の処分を受ける破廉恥な行為をしたとき」に該当するとして懲戒免職を相当と主張したが、組合側はこれに反対し、懲戒規程五条の処分の軽減または執行猶予を考慮するように求め、その意見は一致しなかつた。

8  被告は、八月一〇日に部課長とも相談のうえ、本件行為は本来懲戒免職事由にも該当するところ、本件行為と原告が昭和五二年五月一三日壬生操車場休憩室において同僚の大島司郎と口論のうえつかみ合いとなつたこと(訴外行為)から、原告は物事の解決を短絡的に暴力に訴える性格があり、公務員としての職務の適格性を欠くとも認められるとして、原告の将来等も考慮して分限免職処分に付すことに決定し、同日原告に出頭を求めて、その旨を記載した人事異動通知書を交付した。

以上の事実が認められ、右認定に反する前記証言及び本人尋問の結果は措信できない。この点に関し、原告は、本件行為にあたり興奮することもなく、冷静で、庖丁も下向きに持つていた旨供述するけれども、右供述は、本件行為自体が庖丁の持出行為という尋常でない行為であること、前記認定の本件行為に至るまでの隣人関係に照らすならば、不自然かつ自己弁護に過ぎ、直ちに採用しがたく、他方、被害者とされる明田一弘は、原告に胸ぐらをつかまれたうえ庖丁でおどされた旨証言するけれども、右証言も、原告が素直に妻に庖丁を手渡しており、その後は何ら明田一弘が反撃に出た様子がないこと、証人中尾由造・同橋詰感子の各証言によると、原告と明田一弘の間には一メートル程度の距離があつたことが認められること等諸般の事情からみて、直ちには信用しがたいところである。他に叙上の認定を動かすに足りる証拠はない。

(本件処分の取消事由の有無について)

三被告は、原告に対しては、本来、懲戒免職処分を相当としたが、原告の利益をも考慮して分限処分である本件処分を選択したと主張するので、まず、懲戒処分と分限処分の関係について検討する。

1  地方公営企業に勤務するいわゆる企業職員(地方公営企業法(以下「地公企法」という。)一五条参照)については、地公法の任用(一五条ないし二二条)、分限及び懲戒(二七条ないし二九条)、服務(三〇条ないし三五条、三八条)の各規程が適用される(地公企法三九条一項、二項参照)ところ、地公法二九条の懲戒制度は、当該公務員に職務上の義務違反その他単なる労使関係の見地においてではなく、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的内容とする勤務関係の見地において、公務員としてふさわしくない非行がある場合にその責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するための制裁を科す制度であるのに対して、同法二八条の分限制度は、当該公務員の責任を問うことなく、その職務遂行能力ないし資質等の観点から、公務の能率の維持及びその適正な運営確保の目的に出た制度であり、懲戒処分が究極的には公務の適正かつ能率的な運営に資するものである(地公法一条参照)としても、その制度の趣旨・目的が両者において異なるものであり、前記法条は、任命権者に分限免職の権限を認める反面、公務員の身分保障の見地から右権限を発動しうる場合を原則として心身の故障の場合に限定したものと解するのが相当であるから、分限処分が懲戒処分に比して被処分者に有利なことのみを理由として懲戒処分が相当な場合に分限処分を選択することは、法定されない新たな処分事由を認める結果となるから許されず、ただ、懲戒処分の対象となる公務員の行為がその職に必要な適格性を欠くことが明らかであつて、分限事由にも該当する場合には、公務の能率の維持及びその適正な運営の確保の必要という観点から当該公務員を分限処分に付することも、社会通念上合理的な範囲内では許されるというべきである。そして、この場合は選択された分限処分自体について処分事由の有無及び処分権者の裁量権濫用の有無が検討されるべきものである。

そこで、以下、本件処分自体について分限事由の有無及び被告の裁量権濫用の有無を検討する。

2  まず、分限事由の有無について判断するに、本件行為は庖丁の持出による脅迫行為という公務員としてはもちろん、私人としても看過しえない非行というべきであるが、それが職務とは直接の関連性をもたない相隣関係をめぐる紛争に起因する純然たる私行であり、分限制度が既にみたように当該公務員の能力ないし資質等の観点から公務の適正かつ能率的な運営に資する目的で認められた制度であることからみて、本件行為自体を職務不適格性の徴表とみて分限事由となすことは困難というべきである。さらに、職務との関連性を有するものとして被告が主張する訴外行為についてみるに、〈証拠〉によれば、昭和五二年五月一三日壬生操車場内休憩室において、同月一〇日に大島司郎運転車両に後続していた原告運転車両が引きずられることがあつたところ、その原因は大島司郎が意識的になしたとして、原告と右大島が口論のうえつかみ合いとなりかけたが同僚の制止にあい思いとどまり、双方に杉浦所長から注意がなされたことが認められるが、その余の処分がなされておらず軽微なものというべきであり、むしろ、原告が京都市交通局に入局以来本件行為をなすまで二〇年近くもバス運転手として市民に対するサービス業務を問題をおこすこともなく無難にこなしてきており、〈証拠〉によれば、その間、昭和四一年一〇月一五日には京都府警察本部長から優良運転手として表彰され、また、昭和四九年一一月八日、同五二年九月一〇日には営業所長の推せんにより京都市交通局の自動車運転手見習研修生のための指導を委嘱されていることが認められ、右事実に照らすならば、訴外行為を職務不適格性の徴表とみるのも困難というべきである。

そうすると、被告主張の分限事由の対象となる各行為についてはその存在が認められるものの、それを分限事由、特にすべての職についての適格性を否定する分限免職事由とまで認めるのが困難といわなければならない。

3 そこで進んで、被告の裁量権逸脱の有無についてみるに、被告は、本件行為が庖丁の持出による脅迫行為で、私人としても、特に事業の廉潔性の保持が社会から要請ないし期待される企業職員としては許容しがたいうえ、被害者らの再三の処分要求や前掲乙第一七ないし第三三号により認められる次の事実、すなわち、京都市交通局においては昭和五一年頃から料金横領、飲酒運転等の職員の不祥事件が続出し、交通局に対する市民の批判も強く、とりわけ市民の代表者で構成される市議会からも昭和五二年一〇月八日、同五三年三月二二日、同年一〇月一三日、同年一二月一三日と再三にわたり付帯決議により、京都市交通局に対し職員の信賞必罰の実施と服務規律の確立を要請されていたことから、懲戒免職処分相当の意見を表明していたところ、既に二においてみたように、懲戒委員会での組合側の意見や原告の将来を一応考慮して同じ免職を内容とする分限処分たる本件処分に及んだことが明らかである。

しかしながら、(1) 〈証拠〉をあわせれば、原告は本件行為について送検されたが、昭和五三年八月三一日京都地方検察庁で不起訴処分となり、同年九月一五日には本件行為の相手方である明田一弘と示談が成立し、その後は明田一弘・中尾由造らと会えば挨拶をかわす程度の通常の近所づきあいを回復していることが認められること、(2) 本件行為は原告が近隣の従前からのいやがらせに対する憤懣から偶発的に生起した純然たる私行で計画性はなく、行為自体も自宅から興奮の余り庖丁を持ち出して明田一弘・中尾由造の立つている場所の約一メートル付近まで歩み寄つて右庖丁を示したものの、それ以上右両者を追いまわすこともなく我にもどつて原告の妻に素直に庖丁を手渡しており、その間極めて短時間で実害はなく、その直接の原因となつた自動車の路地駐車の点については、原告にも杓子定規な点がみられるにせよ、相手方たる明田一弘が他に駐車場を有しながら便利なため勝手気ままに再三路地に不法駐車し、原告のたび重なる注意を意に介せず、本件行為の当日である八月五日にはかえつて他にも駐車する者がいることを理由に反駁するという隣人の迷惑を顧慮しない横柄な態度が窺われ、むしろ同人の方にその非があるともいいうること、(3) 本件行為については第三者的な目撃者が存在しないと思料されるにせよ、被告が事情聴取したのは関係者では直接の当事者たる原告と明田一弘のみであり、その聴取回数も原告については昭和五三年八月五日、同六日の二回、明田一弘については同月五日の一回のみであり、右両者間に行為の態様自体に重要な供述のくい違いがあるにもかかわらず、特にその点につき新たな取調べや他の関係者の取調べをして事実の解明に努めることなく、本件行為後わずか五日で本件処分に及んでいること、(4) 原告は、市バス運転手として乗客サービスを含む市バスの運転業務自体はその素質・能力等からみて充分なしうると認められるにもかかわらず、本件処分により市バス運転手としてはもちろん、転職可能な他の職を含む企業職員としての適格性をすべて否定される結果となること、(5) 京都市においては地公法二八条三項により職員の分限の手続及び効果について、「職員の分限に関する条例」(昭和二六年一〇月一日条例第三六号、同四五年一二月条例第二六号により改正後のもの、以下「分限条例」ともいう。)が定められているところ、地公法の分限に関する諸規定と対比すると、分限条例においては、地公法上の休職事由以外に同法上の降任・免職事由をいずれも休職事由と規定し、降任・免職できる場合でも休職できることにしており(同条例二条各号、地公法二八条一項二項参照)、懲戒処分の際に情状酌量の余地のある者に対して処分の軽減ないし処分の執行猶予を認めて猶予期間の経過により処分の言渡の失効を認めていること(懲戒規程五条参照)などに照らすと、京都市においては職員に対する重要な処分については特に慎重な配慮をその制度上要求されているともみうること、(6) 被告挙示の分限事例は、ほとんどが職務との直接の関連性を有する行為に基因すると認められ、被処分者の職務についての素質・能力等も個別的で事案の態様・性質も異なるから、本件処分の適法性を根拠づけるものとはいい難いこと、その他本件にあらわれた諸般の事情を勘案すれば、地方公営企業管理者としての前記本件処分に至つた被告の立場を考慮しても、免職を内容とする本件処分は、被告に付与された分限処分についての裁量権の行使に濫用があるものと断ぜざるをえないところである。〈以下、省略〉

(田坂友男 東畑良雄 岡原剛)

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